日本に浸みついている忘却の必理は今回の裏金政治でも垣間見れるが
第二次大戦でも、その責任発端者を追求する思想が無いのが忘却心理になるのだろうか?
原発も同様、根底にあるのは、全体主義かもしれない。
権力者の利益のみで判断進行させる時代は終りにしてもらいたい。
戦後荒廃からスタートした際、今の様に世界中の情勢が通信の発達で誰でも知る事が出来、
個人の発信も可能な時代で、ようやく本当の終戦を期待している。
幼なき時より北欧の人々の自由度をみて、なぜ我国はこうなんだろうという疑問をいだいて来たが、
我が国は権力者の欲望に走るからだろう。
全体主義、全体会議という何にでも全体という言葉で、片付け、エラーを忘却する事で進んできた。
やはり国民主体で現情の把握と、今後の方針を決定できる人を望みたいものだ。
又、政治家達を監視するコンプライアンス部門が参議院と思っているが、
あまり大差なく感じるのは小生だけだろうか?
幼少時代、豊島区池袋
祥雲寺坂下の日の出モータースは懐かしい、戦後自転車にタンクをつけ
動力自転車を見た時自分も材料捨場にあった車のハンドルが欲しくて、うろちょろして怒られた。
あとで知ったが、本田 宗一郎だった。
物づくりとは万民が欲しいと思う物を造るのが基本だ。
今のPCも昔のワープロの様に創れないものかと、つくづく思う。