茨城県古河市にある企業より仕事をいただいており、田嶋さんから古河に行くたびに口伝の話を聞かせて頂いている、興味を引くのは秀吉が北条攻めののち、古河城に宿泊した事、道は、山裾の陸路、後に家康が小山評定にて夏の陣のスタートを切り、江戸にもどる際、古河城に宿泊した後、利根川から江戸川にて船にて江戸へ戻った。古河城は新政府明治6年廃城令の為、古河城は壊され、現存しないが、古河城に興味を覚えると共に残されていたら町の再開発にも貢献したのにと思う。家老、鷹見泉石の自宅はそのまま残されており、近くに歴史博物館、文学館、女性小説家永井道子の実家、篆刻美術館があり、歴史好きには一度訪ねることをお勧めする。その際にはお茶屋の鈴木園で昭和期の話もお勧め、また研究者の田島自転車店は古河駅より鈴木園より近い通りにある。
又、渡良瀬湖ゲートFより北に車を進め、夕方遭難しそうになり、夜だったら危険だった。アイホンのコンパスでも役に立たなかったからだ。付近はコウノトリ生息地、野生イノシシ注意の看板が、車からおり初めてわかった事も田島氏に言うと、そこが谷中村で明治に2400人が暮らしていたと説明されたが、あの湿地に足尾の鉱毒が流れたら、生計が成り立たないと理解できた。近くにはドイツ人技師が建てたホフマンの煉瓦炉2基の働き手として生活していたのかなとか思う、昭和34年まで操業していたとの事。その近くに坂上田村麻呂が戦勝祈願した野木神社があるが、家康は戦勝祈願にて何石、お雀神社にも何石の米を寄贈していった。戦勝後日光街道を整備し,日光東照宮への参拝の為、例幣使街道の整備のおかげで現在の街道の基礎ができた。
又、日光街道沿い古河宿は昭和期には200人ほど芸者さんがいたそうだ、現在4代目女将が一人で頑張っている、店は、市営はなももプラザの反対にある、「しんます」
利用客が増える事を望む。
田嶋 幸男 プロフィール
社団法人茨城県観光協会
ふるさと観光アドバイザー