七十二候

ガサの惨劇をNEWSで見ると、国の起源を考えるようになった私
日本はつい最近まで農業国であり、大陸との繋がりが密接だった事実。
日本人特有の何にでも興味を持ち、工業主体の文化ができたが、
生活の中に農業での七十二候の見方が残っている、勿論環境の変化に伴い
ずれるのは、よしとしても、こんな気持ちで自然と接したいと思いこのコラム
を利用して平和を望む声にしたい。

 


YouTube

 

節分・豆まきの様子

 

古河コアビル・古河市紹介

 

仕事の関係上、茨城県古河市で米穀会社の会長から江戸時代古河市の古地図のコピーを頂き古河市西口、に興味を持ち、お雀神社の節分に参加、公民館の市民発表会近場の探索をし、動画をとりましたので、ご覧ください。
 古河は徳川幕府最後の家老宅も残っており、古くは、朝廷の軍勢が北上する際勝利祈願した野木神社、万葉集にある万願寺、鎌倉時代の神社もある、勿論日光街道の古河宿であり古河は水運で栄え、栃木から木材,米を江戸へ運ぶ中継宿、今は埋め立てられ宿場内の水路はなくなっているが、水路から坂を馬車にて米を引き上げていた。その坂上に古河コアビルがあるが、この近辺は石町会と呼ばれ米問屋街であった、ビル脇の石碑は明治の画家の生誕地碑だ、明治に機織業が盛んとなり、花街が作られ
面影が残る家屋も点在する。隣町の野木は乗馬クラブ、芝生の野球場、サッカー場渡良瀬湖ではヨット、パドル、ウインドサーフィン、気球クラブが盛んな土地である。

 ここから長崎出島まで徒歩で行ったなんて考えられない。